もっと早く、気づいて実践していればよかったな、と思うことがあります。それは、タイトルどおり、「自身はなくて手も、在るフリをする」ということ。
そこに、あなたがやりたい仕事があるとします。憧れていた仕事のチャンスが、思わぬところから転がり込んできた。あるいは、今まで考えていなかったけれど、ふとした縁で非常に面白そうな仕事やプロジェクトに応募できるチャンスに遭遇した、なんていう経験はありませんか?
でも、自分の経歴・経験や、トレーニング、知識などを考慮すると・・・。自分が最も適任とは言えないような気がしてしまったり、自分にはまだ早すぎる、もっと自信を持てるようになってからトライしたほうがいいのかも、などと二の足を踏んだりしたことのある人はもいらっしゃるのではないでしょうか。資格はあるけれど、この特定の分野での経験がきちんとあるかというと、そういうわけではないし・・・。いろいろな、ネガティブな思いが錯綜してしまい、よけいに自信がそがれていく。思い当たりませんか?
過去の私は、振り返ってみれば、こんなことの繰り返しでした。今思うと、いろんなチャンスや成長の機会を棒にふってきたな、遠回りしたな、と思います。
今の私が、過去の私に声を大にして言いたいこと、それは、
自信がなければ、自信のあるフリをししろ!
ということです。
特に欧米では、自信のなさそうな人間は、魅力的に見えず、信用してもらうこともできません。あるいは、皆そう思い込んでいるだけなのかもしれませんが。とにかく、有能な人間、有用な人間というのは自信のある態度をとるものだ、という認識が、日本よりも強いように感じます。
なので、自信のなさを隠そうともしない人を「謙虚で好感がもてる」「能ある鷹だけど爪を隠しているだけだ」などと評価してくれることは、まずないでしょう。
裏を返せば、あなたのまわりにいる「自信に満ちあふれた人たち」も、実はそんなに自信があるわけではないのかもしれませんし、またその自信に見合う能力やスキル、経験があるわけではないかもしれないということです。
「いまひとつ自信がない」は、やりたいことにトライする理由にはならないこと。どの仕事にも、その仕事がもとめるパーフェクトな人材像というものがありますが、条件のすべてにあてはまるパーフェクトな人物など、ほとんどの場合、存在しないのです。
自信がない、だけでなく、厳密にいうとドンピシャな経験が、ない、という場合も少なからずあるものです。カナダなどの場合、「未経験歓迎」という求人はほとんどなく、即戦力が求められる雇用マーケットです。だからといって、どこかから始めなければ、経験なんてつくれないのです。
なので、時には、「できない」かもしれないことも「できる」と断言してしまうことも必要。あるいは、さまざまトレーニングや経験を重ね合わせることで「できるはずだ」と、他人のみならず自分自身をも説得してしまわないと、次の一歩には踏み出せません。
本当に「できる」ようになるまでは、できるフリをして、とにかくやり続けること。もちろん、さらなる勉強も大切です。やりながら、自分が不足している部分を発見したり、失敗から学ぶこともあるでしょう。これをやり続けることで、出来る自分になっていくことができるのです。そして、本当の自信なんて、その後にしか手にすることはできません。
あるいは、もしかしたらこの世のだれも、本当の自信なんて持っていないのです。逆に、自分は本当に自信があるのだと思っている人は、「過信」という罠のすぐそばに立っているとも言えるというパラドックス。
「自分はまだまだ」と謙虚でありつづけると、永遠にまだまだのままで人生が終わってしまうかもしれません。
もちろん、まったく初めてのことや、自分の専門分野から全く外れていることで「できます」と言ってしまうのは問題でしょう。資格の問題ももちろんあり、事実と明らかに異なったことを履歴書に書いたりすることはできませんし、詐称の罪に問われることになりますので、ご注意を!
コメント